遠い日の思い出。5

多摩テックが出来、中学生の僕はMCFAJのライセンスを取りせっせと多摩テック通いが始まった。
未だコースが出来たばかりで切り株に足をぶつけたり、当時スクランブルコース、ヒルクライム、や
ジャンプ台など、僕の1デイレーサーで、色々な走りや、クラブのマスコット適な僕は先輩達の本物
レーサーを数多く乗せて戴いた。僕のレーサーは1日で作り上げたプチレーサーで本物のレーサー
が欲しく成ったが、中学生の僕には、高嶺の花で手に入れる事も、本物を製作する腕も無く、プチ
改造に明け暮れた。ジョンソン基地でのクラブマンレースも、ランペットの高周波のトップ集団に痺れ
CB72のメガホンの音に酔いしれた。鈴鹿サーキットでの第1回日本GPに夜行電車で友達と2人で
観戦し、未だ出来立てのサーキットの赤土に足を取られ、雨天の中どの様なレース展開かも分からず
グズグズに成りながら、本格的なロードレースに体中が熱く成った。何時の日か僕も本当のサーキット
を自分で製作したレーサーで、レースをして見たいと此の時、強く思い描いた。

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